医療法人昭和会

理事長先生の決断

           
   
 初代病院長、宮原昌彦先生です。この度、おおよそ50年の運転免許証を
返上されて、タクシーや送迎の通勤に変えるそうです。「年をとったから。」
ということですが、大変な決断だったことでしょう。
  

理事ご挨拶

 
 

 昭和会理事・倉敷北病院病院長の宮原です。最近、病棟のクラークさんが
撮ってくれた写真ですが、良い感じなので、この記事で使っていただくように
お願いしました。何となく哀愁が漂うような・・・。正面の画像をご覧になり
たい方がありましたら、(お勧めはしませんが)倉敷北病院ホームページの
病院紹介のページでお会いしましょう。
 簡単ですが、昭和会の沿革についてお話ししようと思います。昨年、岡山県
の病院協会の原稿で書かせてもらったものを、少し手直ししたものです。
 
 倉敷北病院は昭和五十七年、四十床の個人病院として開設され、昭和五十九
年には順次百十三床まで増床されました。
 当初、一般病院として急性期の患者さんの受け入れを主としていましたが
倉敷市は巨大で良質な急性期病院が完備されているという土地柄で、その中
での役割分担(むしろニッチェといいますか?)からして、平成五年より
療養病棟を導入しまして、介護度の高い慢性期疾患を扱う病院にシフトして
参りました。

 私が病院長に就任しましたのが平成十三年で、まさに医療費抑制が声高に
叫ばれ始めた頃になります。そうした環境の中で、平成十五年にには何とか
病院を法人化することができました。また、平成十四年に(有)白寿を立ち
上げまして、倉敷北ケアセンターを開設したのもこの平成十五年の事に
なります。

 現在の障害者施設等一般病棟、医療療養型病棟の形になったのは平成十七年
のことになります。どちらの病棟も、医療の必要性の高い患者さんの入院を
お受けしております。

 平成十七年頃より、社会的入院の是正に焦点があてられて、入院の適応が
厳しくなりました。平成十八年、(有)昭和医療企画を立ち上げ、介護付き
有料老人ホーム「結幸園」を開設しました。
 しかしながら、なお入院の適応は無いものの、一般的な介護施設では
対応しきれない「医療難民」といわれる方は・・・現にありまして、その
対策として高齢者向け住宅「メディカ倉敷北」を平成二十五年に開設しま
した。
 なお、この時同時に、法人と関連事業所の子育て支援の一環として保育園
「キッズコートくらしき」を設立しました。

 法人沿革でまとめてもらいますのでご覧ください。

法人沿革

1982年
40床の個人病院として解説。
1984年
113床に増床。
1993年
療養病棟を導入。
2003年
医療法人昭和会設立。
2003年
(有)白寿による倉敷北ケアセンターの設立。。
2008年
(有)昭和医療企画による結幸園の設立。
2013年
(医)昭和会によるメディカ倉敷北・キッズコートくらしきの設立。